何が人の幸せか
人の幸せはどこにあるのか。
結論、人の幸せは何が決めているかというと、自分の考えである。
つまり、自分の脳が自分の幸せを決めているわけだ。
資産が100億あろうが不幸せな人は不幸せだし、年収が300万の人でも幸せな人は数多くいる。
結局は本人がどう感じるか、という問題に帰結する。
幸せを感じるということはすなわち脳汁がドバドバ出ているということだ。
どこで脳汁が出るかは人それぞれ。
これを人為的に出すのが薬物なわけだが、これは果たして悪いことなのか。
一般的になぜ悪とされているか、調べてみると
- 人間の精神や身体をボロボロにし、人間としての生活を営むことができなくなる。
- 幻覚・妄想などが、殺人や放火等の凶悪な犯罪や交通事故を引き起こす。
- 社会全体に対しても、取り返しのつかない被害を及ぼす可能性がある。
と、まあ大体こんな事が書いてある。
で、思ったのがこれって社会システムとしてこれを容認してしまうと問題があるという話で、人間が薬物をやってはいけない理由ではないんじゃないかなーと。
もし他の周りの人間のことを考えないとしたら、一人の人間が薬物をやることを止める合理的な理由にはならないのではないかと。
人は幸せになろうとする生き物で、つまりは快を求め続ける。というか人間に限らず生き物はみな快を求めている。それが生きる理由であり、存続し続けてきた理由でもある。
とすれば、人間の最終的なゴールは快を得ることで、それが薬物によって得られるのならば、それを禁止する理由はないのではないか。
美女を抱くのも、美味しいものを食べるのも、ギャンブルで大勝ちするのも、友人と楽しく談笑するのもすべて快を得る行為だ。
星新一の作品にこんな話があった
宇宙から物体が飛来した。
中を開けてみたところ、入っていたのは設計図。
どうやら何かの機械のようだ。
内容を解読し、設計図通りに組み立ててみることに。早速、完成した機械。
この機械は、実験により特に害もなさそうであることが分かる。
それどころか、使用者に桁違いの快楽を与える物だった。
とりあえず、常習性も無いらしいとのことで大量生産に踏み切ることに。ところが1つだけ不安があった。
設計図には本商品に特許権があることを示していたのである。
「断りなく生産するのは良くない!!」
そう主張する一部の良識派の意見は黙殺され、黙っていれば分からないだろうと押し切られてしまう。こうして、大量に出回ったこの機械。
今や誰しもが所持するようになった。そんな時、宇宙からこの機械の特許権者がやって来た。
本来、設計図は他の惑星に届く筈が不手際で地球に不時着したらしい。慌てふためく地球側だが、これだけ出回ってしまっていては誤魔化し通すことは出来ない。
潔く謝ってしまおうと決定する。こうして謝罪した地球側代表に対し、宇宙人は気軽に許す。
「あぁ、この商品は敵対する相手に送り付ける物なんですよ。この機械が普及すると文化レベルが其処で止まり、後は衰退するだけなんです。そんな正式な使用法なら特許料を頂きますけど、ご自身で使用されることについては大丈夫ですよ」―――エンド。
引用: http://mysterytuusinn.seesaa.net/article/268644174.html
これは薬物のデメリットを取り払ったようなものだろう。
もしこんなものが存在するとしたら、これは果たして社会に受け入れられるべきなのか。
別に人類の目的は文明を発達させることでも何でもないので、これを使用したことで文明が止まることが絶対悪とも言えない。これで幸せと感じる人が増えるのであればこれはこれで悪いものではないようにも思う。
一方で、本人以外のことを考えると、薬物はもちろんこの機械も悪となるだろう。
理由は周りの人が悲しむから、被害を被るから。
となると、本人としても周りの人を悲しませたくない、不幸にさせたくないという思いがあればそれを含めて天秤にかけることになる。
でもこれはすごく難しい問題だ。個人の幸せと周りの幸せが両立しないこともあるもんだ。
例えば、薬物は完全に駄目だとして、タバコはOKなのか。
本人は好きで吸っているが、それが周りの人に迷惑をかけたり、本人の健康を害することで身近な人を悲しませる結果になるかもしれない。かといってそれを禁止するとなると、じゃあお酒は?高カロリーな食事は?健康のためを気遣ったらこれらも控えたほうがいいということになってしまう。そうして楽しみを一つ一つなくしていくと、じゃあ自分は一体何が楽しくてなんのために生きているんだろうとなってしまう。
結局はこれらは全部グラデーションになっていて、明確にこれはだめでこれはいいという境界は存在しなくて、その判断基準も人によっても違うし時代によっても違うし場所によっても違ってくる。
だからこそ、社会規範に則った幸せではなくて、本当に自分が幸せと感じる生き方を探していきたい。