人は幸せにならなくてもいい
人はなんのために生まれてきたのか、生きているのかを考える。
"人は幸せになるために生まれてきたわけではない"
という主張を受けて確かになと思った。
別に人は幸せになるために生まれてきたわけでもなく、また幸せになる必要もない。
ただ単にその人自身がどうなりたいか、というだけの話なのだ。
もし幸せになりたいならば、どうぞご勝手に。別に私達はどちらでも構いませんよ。という世界なのだ。
そんな世界に自分なりに生きる意味を見出していかないといけない。いや、別に意味を見出す必要もなくて、それもまた意味を見出したかったらどうぞご勝手にとなるのである。
人は別に何か意味を持って生まれてきたわけでもないし、人が理由なく死んではいけないということもないし、もっというと人類が存続していかなければいけないという理由もなにもない。
もしコロナがもっとやばいウィルスで本当に人類が死滅してしまいそうになっていたとして、何が問題になるのだろうか。
もちろん人類が死滅したら嫌だし、自分は死のうとも思わないし身近な人には死んでほしくない。自分自身の感情としてはこう考えているが、それが"あってはならないこと"かと言われると少し違う気もする。
つまりは"かくあるべき"みたいなものは世界には存在しなくて、"かくありたい"という個人の感情が存在するだけなのだ。
だから、自分の行動はすべてしなければならないからやっているのではなく、自分がしたいからやっているものなのだ。
働かなければいけないなんてことはなく、別に働かなくてもいい。
働くことと、働かないで収入が減り衣食住がままならなくなること及びそのストレスとを天秤にかけて、働くことを選んでいる。
幸せになることも、幸せになるために努力する辛い道と、そこまで幸せにならないけど辛くない道を天秤にかけて、いずれかの道を選択している。
少し脱線してしまったが、要するにこうならなければいけないということはこの世界にはない、なので自分がどうありたいかは自分で決めていこうという話。